#2 194センチの長身で、付いたアダ名は「デカ」

 このたび元・南海の山内和宏さんと交互に、連載コラムを担当させていただくことになった、高橋智です。

私は1985年から98年まで阪急─オリックスで、その後はヤクルトで3年間、外野手としてプレーしました。

 私の身長は194㌢。今でこそ北海道日本ハムの大谷翔平君をはじめ、190㌢台の日本人選手も珍しくなくなってきましたが、当時は私ぐらいしかいませんでした「デカ」というニックネームをもらい、一軍に定着したのはプロ7年目の91年。私の目標はブーマー(阪急)、ブライアント(近鉄)ら、遠くへガンガン打球を飛ばす外国人選手でした。

 92年には、そのブライアントとホームラン数を競いました。527日の日本ハム戦では、東京ドーム史上初の1試合3本塁打。あれは最高に鳥肌が立った瞬間でした。バットをどう振ったかも覚えていないんです。なのにバットを振ったら、ホームラン。それが3回続きました。

 62日からの近鉄3連戦でも、計4本のホームラン。ピッチャーの投げる球がティーバッティングのように遅く感じられました。しかも打つ瞬間には、その球がソフトボールのように大きく見えたんです。だけど、あんな感覚は、あの時が最初で最後でした。

 01年オフ、ヤクルトから戦力外通告を受け、翌02年、台湾球界にチャレンジしました。ところが、私の入団したチームが所属する台湾職業棒球大連盟は、八百長のウワサさえ囁かれる末期状態。真剣に野球をできる場所ではありませんでした。

結局3カ月で退団し、帰国。妻の実家のある名古屋へ移り住みました。その時は、どこかから野球関係の仕事の声が掛かるだろうと安易に思っていました。しかし、時期的に中途半端だったこともあって断念。1年半ほど働いた整体院のお客さんだった会社の社長さんに誘われ、その方の製造会社に転職することになりました。

初めは順調でした。ところが間もなく、悪夢のリーマンショックがやってきます。あっという間に、給料は半分になってしまいました。そんな時、ゴルフ仲間だった今の会社の社長に「ウチに来いや」と言ってもらったのが、現在の仕事に就いたきっかけです。

正直、自分の食い扶持を稼ぐことが最優先。「エレベーターの保守点検」という仕事の内容については、知識も興味もないところからのスタートでした。

高橋智(たかはし・さとし)氏略歴
1967年1月26日、神奈川県生まれ。向上高から1985年にドラフト4位で阪急(現オリックス)ブレーブスに投手として入団。その後外野手に転向し、92年5月27日の日本ハム戦では3打席連続本塁打で6打点、同6月4日の近鉄戦では当時のプロ野球タイ記録となる8試合連続長打を達成。同年は打率・297、29本塁打でベストナインに輝く。99年にヤクルトへ移籍し、01年に現役を引退。現在は愛知県名古屋市でエレベーター整備士として勤務している。プロ野球15年間の通算成績は打率・265、124本塁打、408打点。オールスターゲーム出場2回。